お陰さまで 仙台北法人会の2011 kitaho.com12月号に 私が、表紙に写真が、掲載。4頁目に 先日取材を受けた内容が、事細かに記事となっておりました。(感謝)
先日、この件で事務局からお電話を頂いたんですが、私は、現在、宮町商店街での活動が、忙しくほとんど北法人会さんへは、お役にに立っていないので 他の方のほうが、いいのでは?と話しましたが、委員会で是非とも掲載したい要望があったと言われ 取材を受けることになりました。
記事の内容は、子どもの頃の失敗談から始まり 店や商店街への思い これからのことなど多岐に渡っています。
長い文章ですが、お知らせします。(笑顔)
お客様の精神的な生活向上を目指して
・リレーでコースを逆走
北六通と宮町の交差点から南に少し入った場所に、今回取材をさせていただく“ペットショップさまん”の店舗がある黄色の外壁が町並みに明るいイメージを与えている。代表取締役の佐藤広行さんが明るい笑顔で私達を迎えてくれました。
私は宮町生まれの宮町育ちで、地元の小中を卒業し高校は泉高校に進学しました。小さい頃はこのあたり田んぼや畑も多くあり幼い頃は田んぼや畑でよく遊んでいました。
小学校の時の恥ずかしい逸話として、足が速かったので運動会のリレーの選手に選ばれたのですが、バトンを受け取った時、緊張していて何を思ったのか反対の方向に走り出し先生や父兄がビックして、急いでコースに戻ったのですが結果は最下位でした。
しばらく会っていなかった同級生に、名前を言っても思いだせない場合など「運動会で逆に走った」と話すと直ぐに思いだしてもらえ今は話のネタにしています。
体を動かすのが好きでしたので中学校はテニス部、高校では水泳同好会に所属しました。水泳同好会のため正式な大会に出場できなかったのですが、当時、自由形で50メートルを27秒から28秒で泳いでおり、後で聴いた話では、その記録だと県大会で優勝を争える事が分かりました。今でも時間がゆるせばスポーツジムに行って気分転換に水泳をしていますが50秒以上かかります。
・30歳の時が転機に
私の店は父が昭和34年に創業し今年で52年になります。その当時、春から夏場は金魚を中心に販売し、秋から冬場は生花店と一つの店舗を内装も全て変えて商売をしていました。当時の宮町商店街は仙台の老舗も多くあり活気がありました。
私が中学生の時に父が他界し、その後、母が切り盛りして金魚から小鳥、小動物、それを飼育するための関連商品等を販売しておりました。
私自身は始め卸業に就職、その後、メーカーに転職し仙台営業所で勤務しておりましたが30歳の時に北海道の札幌営業所に転勤の話がありました。転勤してしまうと10年は地元に戻れないことを知っていました。
宮町商店街で周りは商店主の方々ばかりの環境で育ったこと、また、父が早くに他界したことから商店街の総会などに代理で何も分からず出席し元気の良い“おじさん達”が一生懸命商店街の活性化を目指して奮闘している姿が記憶に甦ってきました。その経験から何時かは何かを起業したいとの気持ちはありました。
・基本は同じ
色々悩んだ結果、店を引き継ぎ経営しながらペット専門学校に2年通学をして資格を取得し、自分の思い描いた改革をしながら今経営に取り組んでいます。その一つにペットの提供にもお客様の家族構成など基本データを伺い、お客様にとってよりよい生活環境の向上に少しでもお手伝、また、手助けになればと考えています。
卸業、メーカー、小売店と経験をさせてもいましたが、扱う商品・サービスは違うものの基本は同じと気付きました。お客様の要望を伺い、その要望に一番適した商品やサービスを提供することでお客様に満足していただけることが大切なことと思っています。お客様の手助けをすることが経営の基本ではないでしょうか。その意味でも、多店舗展開の経営は全く考えておりません。
現在、当社ではスタッフ3名とトリマー5名の8名の従業員がおります。店の規模からすると多少従業員が多いと感じるかも知れませんが、お客様のペットを預かるペットホテルは24時間営業(法律の規制やご近所の事も配慮して、お預けする時間と引き取りの時間は設けさせていただいております。)であり、愛犬の美容もお客様を長い時間待たせる分けにはいきませんので、現在の従業員数が適正と考えています。
生まれ育った宮町で長く付き合っていくお客様を大切にしていきたいと考えています。また、後進の役に立てばとの思いからペット専門学校の講師もしています。
あるお客様で当店より子犬を購入いただき数年前に、そのペットを亡くした方がおられました。高齢になりペットを飼う事は難しいとのことで、当店とのお付き合いは、それ以降無かったのですが、その方のご自宅の近くに行く要件があり、お会いして来ましたが、大変喜ばれペットを介して色々なお話を伺い、この仕事をしていて本当に良かったと改めて実感しました。
・地域の安全と安心を
現在は経営をしながら宮町商店街振興組合理事長しています。これからは地域の安全と安心を展開し子供達の成長をサポートしていける地域創りを目指し小学生の絵画展示による美術館商店街等、多方面で地域の方々と商店街が連携をして住みよい環境の宮町にしていきたいと考えております。
震災の時は、当店では水は断水しなく電気は翌日から使用できました。店舗には犬のトリマー用の10設備があり「水が必要な方はご自由にお持ち下さい。」と店舗に張り紙をしまいた。一日に150名位の方々に利用いただいたと思います。また、宮町商店街と提携している他県の商店街より飲み水の提供の申し出があり、有難くいただくことにしましたが東六小学校に到着した日に宮町の水道が全地域開通し、私のお店に水を汲みに来ている方に伺ったら、南光台地域は断水状態とのことで南光台商店街に連絡をして東六小学校に届いた飲み水をお送りさせていただきました。これも商店街の仕事をしている事により情報が把握でき、地域の困っている方々へ少しでも手助けできることが改めて分かりました。
・先行き不明確を覚悟し
私達の業界も愛がん法が施行され以来、今後法律により色々面で規制がかかると思われます。例えば、子犬も生後80日を過ぎなければ販売してはいけない。ヨーロッパでは常識になっているのですが、母犬が子犬を育てる中で躾をする期間が終了してから、ペットショップで販売をすることになっています。日本でもその考え方を取り入れています。また、少子高齢化により、高齢の方が次のペットを飼うことが難しい現状もあります。先行き不明確な部分が多々あり、その都度、法律に対応して経営を変更していかないといけないと覚悟はしています。
その様な社会環境の基でも、地域に根差し、お客様との信頼関係から色々な要望を伺い、お客様の精神的な生活向上のお役に立てることが、私の仕事の最大の喜びでありますので、その信念を継続して経営していきたいと考えています。
取材を終えて、佐藤広行さんの名刺の裏に記載されている自己紹介「仙台・お宮町をこよなく愛する商業人」の意味するところが良く理解できました。生まれ育った宮町で商売をすることへの拘りは「地域をこよなく愛している」からだと感じます。見た目は40代前半の様に感じましたが今年で50歳、バイタリティーと強い信念、行動力には敬服し、自分に与えられた役割を全うすることが真の意味で地域社会貢献であることを実感しました。
と言う内容でした。