映画「いしゃ先生」を観て来ました。

160221isha1この映画と出会うきっかけは、西川町応援団の総会に出席した時にさかのぼります。この映画が、出来るかどうか?わからないが、素晴らしいい女性のお医者さんの物語があるのでこれを映画で残し後世に伝えたいと西川町の山菜料理で有名な玉貴の阿部さんから聞きました。その時、わずかではありましたが、協賛したのを覚えています。
その後も資金が、なかなか集まらず苦戦していることも聞いていました。そんな中、クランクインが、決まったこと 映画が、先行で山形で観られるなど徐々に前進した内容に変わり全国で観れるようになったのです。
仙台でも フォーラム仙台で上映が、決まり先日、観てきた次第です。この映画、2月26日(金)まで観れますので是非!ご覧頂きたいです。
昭和の初めまで山形県大井沢には、診療所が、無く隣町まで行かなければならない状況でした。
その問題を解決するために父である大井沢村の村長の娘の周子(ちかこ)さんを東京女子医専(現・東京女子医大)に通ったそうです。
周子さんは、卒業し医者になったばかりの状況で父から「ハナシタイコトアル スグカエレ」と言う電報で戻り大井沢で医者になることになるのですが、彼女は、東京で医療に携わった後、実家に戻るか東京に残るか?決めたいと思っていたようで
今のまだ未熟な医療で地域の人々の助けになるか不安であり驚いてもいたようでした。
映画の内容は、女性が、医者として働くことに故郷の方々から反感をかったのでは?と思っていたのですが、実際は、医療のことを知らない人々が、拝み屋さんに頼めば治ると思っていたり 医療には、とんでもないお金がかかるから今の暮らしでは、診療所へ行けないなど 彼女は、貧困と無知との戦いだったのだと映画を観て痛感しました。
160221isha2映画の中には、西川町の美しい自然が、折なしており自然の中で生きる幸せと冬の極寒の厳しさも伝えておりました。
素晴らしい映画で久々に泣けましたよ。
そして最後に協賛した方々のテロップが、流れ始めたのです。あまりの多くの方々が、名前でしたのでもしや?私も?と思っていましたら・・・私の名前を見つけました。
こんな素敵な映画に協賛することができてよかったと思った後に私の名前を見つけただけにほんと心温まるものがありました。(感謝)